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どうってことない日々のあれこれ

ケン・ハーパー 父さんのからだを返して―父親を骨格標本にされたエスキモーの少年 早川書房

父さんのからだを返して―父親を骨格標本にされたエスキモーの少年

父さんのからだを返して―父親を骨格標本にされたエスキモーの少年

以前に読んだ「ペンギン、日本人と出会う」で、南極から初めて日本に連れてこられたペンギンの顛末を思い出した。
19世紀のアメリカに限らず欧州にしても、民俗学の実態は、こんなものなのか、と思う。
他の民族を見下しているし、その文化に敬意を示さない。人権って何?って感じです。ここに出てくるエスキモーの
少年ミミックは父親と一緒にアメリカの探検家のお土産代わりに連れてこられて、少年期をアメリカで過ごした
、彼の一生について書かれています。
当時は、彼の生地に帰そうとしても、そのルートはないのと同じで(そりゃ、探検に行くぐらいだし)
帰ることが出来なかった事情もあったのだけれど、彼の意思で持って、渡米したわけでもないのに、
公費で彼の生活を支えていたわけでもなく、一個人が彼を養っていたことも驚かされた。
そんな彼が自分の父親を始め、エスキモーの仲間が骨格標本として博物館に展示されていることを知ったときの
衝撃はいかばかりのものか。それでも、何度となく足を運び、骨を自分の生まれ育った土地に埋葬したいと
懇願するのにもかかわらず、相手にしてもらえない。もし、自分の国の人間が他の国で同じ扱いをされたとしたら
皆どうするだろう。自分たちと同等とは考えない優越意識が出ているところだ。
その後、彼はエスキモーの生活に戻ることになるのだけど、エスキモーの言葉を忘れ、文化も知らない彼は
変わり者扱いで、彼はキリスト教の協会に赴き、自分の心情を打ち明けるところには胸を打たれる。
21世紀になっても、こんな無意識の差別意識は根付いているような気がする。自分と違うものを完全に否定する風潮
はますます激しくなっているような気がするのだ。