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どうってことない日々のあれこれ

大人計画 キレイ-神様と待ち合わせした女-

作・演出/松尾スズキ
出演/鈴木蘭々高岡早紀阿部サダヲ片桐はいり橋本じゅん
シアターBRAVA! ソワレ 1階V列41番で鑑賞
開演18:30終了22:15

数々のアクシデントを乗り越えて、よくぞここまで完成度の高い芝居に仕上げてくれて、ありがとうって感じです。つか、それを知らなくても、十分に満足度の高い芝居だ。観終わって、3日経っているわけだけど、まだ芝居のことをいろいろ考えて余韻に浸っている。あぁ、松尾さん、あんたただの変な人じゃなかったんだね。


プログラムにも「(初演時よりも)わかりやすい」ことを目指した、と書いてあった。「大人計画」の芝居は今回を含めて3回しか観ていないのだけど、この芝居が一番わかりやすかったです。わかりやすい、というか、この世界にどっぷり浸ることができた。ただそこにいるだけの「神様」の存在。この神様の描き方で私は一気に松尾信者になってしまった。でも、他の作品でもそうだった。なので、この芝居は、私がこれまでみた作品の原点というか指針となる位置付けになるのだろう。今までわからなかったことがここに戻ることで明確になる。そういった意味でも「わかりやすい」作品なのかもしれない。


「清濁合わせ持つ」というよりも「ぐでぐでになっても取敢えず生きていこうよ」みたいなメッセージは前の公演でも感じたけど、これも根っこはそこじゃないかな。と思った。ケガレの少女時代はとりあえず生きていくことに必死で、大人になったケガレは「何かしら欠けている」自分を必死に取り戻そうとする。そこらへんに、時流が変わっていても、柔軟にしたたかに生きるカネコキネコや無知ながらも生きる力だけはありそうなハリコナ、死ぬために生まれてきたような存在なのに死なずに「生き恥」さらしているダイズ丸や「偽善」を生きる力にしているダイダイカスミ達のそんな生き方も絡んでいて、それはケガレの生きていく上の道しるべのようだ。何も正解か本流かはわからないけど、それがケガレに大なり小なりの影響を与えている。

ケガレは過去の自分と現在の自分と常に向き合っている。結局、欠けていた自分を探し当てるのだけど、そこがものすごく哀しいのだ。でも、自分を「ケガレ」と名乗っていたのは、実はよくわかっていなかったことが明かされ、最後に全てを受け入れ、認めて、「ケガレて ケガレて 私はキレイ」となる姿がもう力強くて、圧倒的に美しかった。


高岡早紀はめちゃキレイなのな(ため息)鈴木蘭々のケガレと同化していて、自然に2人を過去と現在と受け入れられる。ケガレのキャラがぶれてないことで、2人の対話が説得力があるというか、胸に迫るものがあった。

体操着姿の松尾スズキは何だかとてもやつれている様に見えたけど、元々貧相な身体なのか。あと、子供時代のハリコナのサダヲとケガレの蘭々のカップルがすんごいいじらしくて可愛かった!いや、もう、キャストを一人ずつ感想を書いていったら、1ヶ月ぐらいかかりそうなんで止めておきますが、群集劇としてはバツグンのものではないですか?ミュージカルとしてはどうなのかわからないけれど、これだけメッセージ性の強いものも珍しいのかな。酒井若菜はホントにすごいチャンスを逃してしまったよなぁ。

キレイ―神様と待ち合わせした女

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キレイ[2005]

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