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どうってことない日々のあれこれ

ダウト〜あるカトリック学校で〜

2008年 アメリカ 配給:ウォルトディズニースタジオモーションピクチャーズジャパン 時間:105分
監督:ジョン・パトリック・シャンリイ 出演:メリル・ストリープ/フィリップ・シーモア・ホフマン/エイミー・アダムス
原作:

ダウト―疑いをめぐる寓話

ダウト―疑いをめぐる寓話

シネ・リーブル神戸にて

ケネディ大統領が暗殺された頃のアメリカ、ブロンクスカトリック教会付属の学校が舞台。ケネディ大統領はカトリック教徒だったんすね。信者の皆さんの動揺はかなりのものだったんだろうか。映画の冒頭もフリン神父の説教もこれに絡んだものだった。で、学校にははじめての黒人生徒が転入してくる。(入学じゃなかったと思う。6月に卒業するって話だったし)校長先生シスター・アロイシスは新人先生に注意を促す。どちらも、修道女だ。ある事から、フリン神父と黒人生徒の不適切な関係疑惑を新人先生は抱く。でも、実際現場を見ているわけでない。しかし、不安にかられた新人先生は校長先生に相談する。
ざっと、こんなストーリーだ。なんか、カトリック学校って設定は身構えるよなぁ。でも、不適切な関係って気になるわー不純な動機で観た。後半の校長先生とフリン神父のバトルっぷりは、言葉の応酬は豪速球をお互い投げては返すという具合で思わず引き込まれた。なんか舞台を観ているみたいと思ったら、戯曲の映画化だそうで納得。んで、観ながら、これはカトリック特有の問題というよりも、もっと人としてや、組織としての根源の問題として考えてもいいんじゃないか、と思った。
校長先生は、規律を重んじる、生徒としてはかなり煩い先生だ。しかしながら、生徒の中には慈愛を持って接しても、それに付け上がる生徒も出てくる。だからこそ、規律で集団をまとめあげようとする。合理的ともいえるかもしれない。一方、神父は、現実に即して臨機応変に対応したい。修道女が眉をひそめるようなジョークを言ってみたり。神父は「爪が長くても、清潔にしていれば、それは汚くないのだ」といい、校長先生は「悪を避けるには神を遠ざけることはある」といった。これって、方法論は違えども、一見、相反する二人だけれど、皮肉なことにその根本にあるのは同じなのかもしれないと思った。それから、この対立は宗教者としてのそれでもある。
だけど、黒人生徒の母親にこの疑惑について話したときの、息子の将来を慮った彼女の言葉に打ちのめされる。それは、信仰を通り越したきわめて現実的な選択であり、母親の願いだからだ。民族的マイノリティである彼が、白人の通う学校に入れた。これは、今の境遇を覆すチャンスである。彼女自身にしても、苦渋の決断だと思うのだ。

ダウト(doubt)の語源は二つの間で揺れ動くことから来ているそうだ。私は校長先生が確信を持って、フリン神父を問い詰めたのではないと思う。しかしながら、母親の言葉で揺らいだ疑惑について、ひとつの選択を決めた。だから、最後に隠し玉ともいえる言葉を用意したんじゃないかなぁと思う。結局、神父は教会を去ることになるけれど、それは栄転だった。校長先生の訴えは聞き入れてもらってないことになる。そういった意味でも無力感にとらわれるけれど、だからこそ、最後のセリフが口について出たのかも。

フリン神父はどうしたって怪しいよなぁ、なんか醸し出してる雰囲気がそれっぽいもーん。と第一印象で判断してしまいがちになるけど、根拠のない思い込みに対する警鐘みたいな映画だったことを今思い出した。あかんなぁ。人は弱いもんです。