なんてつメモ

どうってことない日々のあれこれ

イノセント・ボイス 12歳の戦場

2004年 メキシコ 配給:アルバトロス・フィルム 時間:112分
監督:ルイス・マンドーキ 出演:カルロス・パディジャ/レオノア・ヴァレラ/ホセ・マリア・ヤスピク他

OSシネフェニックスにて鑑賞

イノセント・ボイス―12歳の戦場 (竹書房文庫 (DR-171))

イノセント・ボイス―12歳の戦場 (竹書房文庫 (DR-171))

これはエルサルバドルでの内戦時代が舞台。「ホテル・ルワンダ」と同じく、実話を基に作られている。やはり、第2次大戦終戦後60年が経っているけれど、それでも地球上にはどこかで銃声が、人々の泣き声が止まらない。アメリカのブッシュ大統領は、インドとパキスタンの2つの核保有国を訪れている。どちらも核拡散防止条約に違反しているのに、対応が異なっている。何がスタンダードになっているんだろう。アメリカそのものなのかしら。って疑問が湧いてくる。この映画の中にも、それと似たような光景に出くわす。内戦とはいえ、政府軍には米軍が銃撃などを教えているらしい。子供たちは気さくな米兵に集まり、ガムをもらって喜んでいる。それを苦々しく見ていた屋台の女性がそれをたしなめる。「ほら、もう全然おいしくないだろう?」そうやって、子供達は、この戦争が何なのかを子供なりに理由を考えていくのだ。そして、彼なりのアピールをしていく。それは、とても無邪気なだけれど、それを笑って見過ごせられるほど平和な状況ではない。大人達のとっさの機転で運良く免れる。何もかもが、紙一重なのだ。一緒に遊んで、笑っていた友達が次の日には、学校にきた政府軍に徴集されていってしまう。12歳だから。主人公のチャバもやがて、12歳の誕生日を迎えるのだが、祖母がろうそくを一本減らしてしまう。それを見て、思わず飛び出してしまう場面がとても印象に残った。彼らはたった12歳である決断を強いられる。その行為の結果は壮絶だ。チャバはたまたま犠牲になった友達と同じ運命を辿らずにすんだのだけど、いつ他の誰かと入れ替わっていてもおかしくないのだ。彼は、政府軍に協力するアメリカに亡命するのだ。この矛盾した行為は今も変わらない。そして、多分アメリカという国は、その事に対して何の疑問も抱かないのだろうなぁ。

映画の中で、神父が「もはや祈るだけでは済まされないのです」と信徒に叫ぶ場面があった。私は鼻白む思いでそれを眺めていた。長い歴史の中でアフリカ、アジア、中南米キリスト教は普及活動を広げてきたわけですが、その根底にあるものは何かを彼は見定めることはなかったのだろうか。でも、人間誰しも矛盾を抱えて生きているのだろうとも思ったりしますが。

オスカー・トレイスの脚本が感情的にならず、感傷的にならず、自分よがりにならず、抑えた調子で綴られている。どのエピソードも活きていて、彼が今まで生きてこられたこと、生かされたことに対しての感謝の思いが伝わってくる。初恋の女の子との風船デート(だったけ?)なんて微笑ましい。それだけにあとの悲劇がより強く心に残る。常に背中合わせの危険ともに暮す生活の中でのささやかな幸せや楽しみが少しだけ観ている側に気持ちを楽にさせるけれど、それを奪われる悲劇にも目をむかせることも忘れてはいないなぁと。

いつも、爆撃や銃撃の音におびえて泣き叫ぶばかりのチャバの幼い弟が、チャバが旅立つ時にこう言います。「これからは僕がママやお姉ちゃんを守るよ。だって、この家でたった1人の男だから」(うろ覚えだけど、ニュアンスは合っているはず、多分)ママにだっこされている男の子が言うんだよ。たまらないです。あと、徴兵されたときにおもらしした友達が少年兵となって、チャバたちの前に現れる場面で、彼らに言い放つセリフが少年兵となった彼の境遇がしのばれて、切なくなった。

ホテル・ルワンダ」や「イノセント・ボイス」を観て思ったのは、過激な民族運動を繰り広げている人達がその行動に至るきっかけというのは、これまでの内戦の歴史や植民地時代、内政干渉などを経ていることを考えると、その行動には共感することは出来ないが、その意味に対してはやっと理解できるというか、そこに至る思いを汲み取ることはできるような気はする。