なんてつメモ

どうってことない日々のあれこれ

パンズ・ラビリンス

2006年 スペイン・メキシコ 時間:119分 配給:CKエンタテインメント
監督:ギレルモ・デル・トロ
出演:セルジ・ロペス/マリベル・ベルドゥ/イバナ・バケロ/ダグ・ジョーンズ

シネ・リーブル神戸 

パンズ・ラビリンス オリジナル・サウンドトラック

パンズ・ラビリンス オリジナル・サウンドトラック

パンズ・ラビリンス

パンズ・ラビリンス

何の予備知識もなく、たまにはファンタジーもいいよね!って軽い気持ちだったのに。ファンタジーはファンタジーでも、ダークファンタジーだし、つかゴシックホラー風味じゃない?ポスターみたいに煌びやかな世界を想像していたので、足元を救われた。

牧羊神パンの存在からして、胡散臭いんだよ。羊ってこんな悪辣な顔をしてたっけってぐらい、悪者キャラ顔だよ。私だったら、踵を返すだろうけど、ヒロインのオフェリア(とても可愛くて、理知的な感じ)は、普段から読み親しんでいる童話の世界そのままに、夢心地のまま、3つの試練をこなす決意をする。多分、彼女が読んでいた童話は、ふわふわした綿飴みたいな優しさで幸福の結末が待っていたと思うのだ。そして、本当はあなたは王女さまなんだよと告げられる。そりゃ、現実の辛さから逃げたくなる気持ちがわかる。

ところが、彼女がパンから与えられる試練はグロテスクにも程がある。つか、不気味な羽虫を見て、妖精だ!と思える感性を持っているオフェリアってどうなのかしら?これってスペインのファンタジーではよくあることなのか?ファンタジーの世界も案外ダークなのねと思いながらも、彼女が異世界に迷い込んでいる間も現実世界では、過酷な内戦が続いているわけで、現実逃避しながらも、現実とリンクしているような印象を受けた。

で、この映画を全体を通じて、父親の不在が結構強く出ているような気がする。オフェリアはもちろんそうだし、義理の父親となる大尉もそうだ。彼が父親の形見の時計のエピソードを他人から聞かせられて拒絶する場面とか、彼が時計というか、時間に病的に固執するのが何を意味するのか。これって、何かのメタファなのかなぁ?

現実の世界もかなり強烈な暴力描写などもあって、目を背けてしまった場面も少なからずあった。この映画はファンタジーだという概念で観ていたので、衝撃的でした。オフェリアの義父である大尉の残虐性はどこから来るものなのか。時間に対する強迫観念とも関係するところなのか。実際、内戦だと誰が敵か味方かも判りかねることがあるだろうから、神経も消耗しつつ、荒んでくるのは何となく察することはできるが。

現実も異世界も、どちらにしてもオフェリアには生き抜くには困難を強いられている。そして、パンから与えられた最後の試練。この試練は「杜子春」を思い出された。結果は良いか悪いかはともかく全く違うものだけど。この結末は、ハッピーエンドとかどうかは判断しかねるが、その試練の意味はわかるような気がする。パンはやはり悪辣だよ。でも、それを見抜く力もオフェリアに課された試練だったのかも?

オフェリアが本当に夢にみた世界が実現できたとするなら、これはハッピーエンドだといえるのかも。あの場面だけが、この映画の中で唯一きらびやかなんだもの。